こむらがえり

「こむらがえり」とはふくらはぎにおこる痙攣のことを指します。「歩いて汗かいて温泉入ってビール呑んでご飯食べて帰る」小さい旅行が好き。

おじさん・おばさんは負けを認める気概もぜひに

スタートアップとか キラキラした人たちのテキストを読むのが好きです。 スマホでワールド広がる「おじさんおばさんさようなら」って言ってる若者のテキストも良く読みます。

いつの世も、世代間の憎しみとか羨みみたいなもんは ありますわな。 けどこの50年、40年、30年、20年。これよりもスピードも内容も変わりようももんすごいのが、この10年間の流れです。

ちょっとうかうかしてたら、まじで食いっぱぐれる。 俺はアーリーマジョリティの層だと思い込んでしばらく経ちますが、それでも未来が怖いです。 大人たちが、老人たちが、まったく追いついていけてないので。 未来は混沌です。いや、未来じゃ無い、 現代が混沌、です。

これはいかんともしがたい。 情報を得る方法もスピードも効率も、20年前の非じゃない。 カテゴライズ パーソナライズする速さ、これを無料で享受できている、今もスマホでコミュニケートしている彼らに 勝てるわけがない。

 

若者は 若者は本当に自信満々で、我ら中年や老人を全力で平気で馬鹿にする。 50年前もきっとそんなだったかもしれないが、 今の彼らは50年には無いグーグルさんやウィキペディアさんやアマゾンさんと一緒に歩んできたので。 これは、どうにもできない、差 ですね。

もう10年前、15年前を思い起こせばその兆候はあって。 そのころの子供は実にそつなく、大人向けのしっかりした物言いを身に付けることに長けていた。 その場に応じた回答を用意していてちゃんと扱っていた。メディアに対して。メディアとはなんたるものかもきっと理解して対応していた。

まあ、どいつもこいつも小ぎれいな決まりきったこと事しか言わない、つまらない子供たちだ。なんて。そのころの大人がうだうだ言ってた子たちが、今や20代、30代だ。

彼らは非常に効率がいい。 だまされない。(だまされるやつはそれでも居る) 頑張らない。 「働いたら負けかな、と思っている」 なんてのの、さらに次の段階に来ている。

勝負は見えていて、もう本当に未来が怖い。 知識がある若者も、知識の無い若者も、おじさんやおばさんが築き上げたものをレガシーではなくクソだと、のたまうのだ。 それは、ある意味正しい。けれど、正しくもない。 正義、という概念で考えたら それは本質を見誤っているだから。 けれどもそれでも悠々な彼らを見ていると。 おじさんはむしょうに心が苦しむ。

彼らはわかっている。 若さが武器だと。今が高く売れる時期だと。俺たちも若い時それを理解していたはずだ。もちろん武器にもした、バカなフリをして。 ただし、それを言葉にしてまき散らすようなことはしなかった。 まき散らす場所が無かった、か。 20年以上前と今との大きな違いはこれでは無いだろうか。 彼らの自信に満ちた言動をみていると、心が痛む。 何か気に入らない世の中の事があったら、それをおじさん・おばさんのせいにする彼ら。

「若いねえ。」 そう、俺たちも、その頃のおじさん・おばさんに言われたっけ。

 

おじさん・おばさんは、やたらと若者を持ち上げすぎない方がいい。 若者が下手したら寄ってたかってボコボコにするくせに。 「若者に理解があるんだ」という装いも、そう言えば過去もあったか。 そうやって若い女子をむさぼり食うおじさん、それを理解して裸を投げ出す少女も 嗚呼 いつの世も変わらないか。

 

 

何言ってんだ 俺。【編集中】